いじめ自殺について二児の父としての思うこと

   

うちのチビは、上が年少、下が2歳なので、さすがにまだ「いじめ」の加害者にも被害者にもなっていないと思いますが、子を持つ親としては、昨今の報道を見るに付け、他人事ではないぞと愚妻と「しつけ」について話をしたり、まだ「いじめ」というものがどういうことかわからない愚息にお風呂で「他のお友達が嫌がるようなことをしちゃいけないよね」とか「○○ちゃんが意地悪されてたらどうする?」とか話しかけながら教育(と呼べるのか?)したりしています。
ちなみに、私個人で言うと、子供の頃、直接的に「いじめ」を受けた記憶も積極的に加わった記憶もありません。強いてあげれば、理由は忘れました(くだらない内容でしょう)が仲の良かったAくんとある日、口げんかをしたことがきっかけで、クラスの男子生徒全員から一定期間「無視」された記憶があるくらいです。私の場合は「無視」に耐えられず、Aくんに「ごめんね」と謝って解決=解放されました。これは「いじめ」に負けた決着というのかもしれません。小学校入学から中学卒業までずっと背が一番低かったし、4年生からメガネくんだったし、家は喫茶店やってたし、妹が変わった名前だったしで、集団心理的に異物を排除する行為だとすれば、いじめられる素養?は割とありそうですが、もしかしたら本人が鈍感で気づいてなかったり覚えてなかったりしてるだけなのかもしれません。まあ、それはそれで幸せなことです。


「いじめ自殺」報道は最近のこと(これはこれで報道という名のもとに連鎖反応が起きる可能性も考えずにたれ流すことに私はちょっと違和感を感じています)ですが、「いじめ」問題は叫ばれて久しい訳です。そして、現在、子を持つ親になり、加害者にも被害者にもなりうる立場の子供を、本人が持っている個性を潰すことなく、人間として正しい道を歩ませるように躾けるべき立場としては、加害者にも被害者にもさせたくないと思いながらも、(動物学的にとか遺伝子的にとか理由はさておき)「いじめ」が全く無くなることが望めない(決して「いじめ」を認めた訳ではありませんよ)以上は、命の大切さをどう教えていくべきか、また、我が子の周りで起きている異変に如何に気づいてやれるか、そのセンサーをどうやって増やすべきかと考えています。
・命の尊さ
自分の命が貴重で尊いものだと思えれば、少なくとも「いじめ→自殺」というステップを踏まずに済むわけです。それは、どれだけ愛されていると感じられる機会を増やせるか、だと思います。えーっと、「ドラえもん」が新体制になって歌が変わりましたよね、「ハグしよう」って。日本ではなかなか馴染まない行為でしょうが、少なくとも親子間とかでは「ムギュ」って感じで軽く抱き合うと言うのはいいことだと思んですよ、私。別にハグでなく握手になってもよくって、要はスキンシップという行為によって愛を伝え合うことが重要なのかなぁと。
・罪悪感
「いじめ」が悪いことだと教えてくれる人・機会が多ければ多いほど本人の「気づき」は増えると思いますし、思いたいです。家庭、学校に加えて、地域社会も含めたシステム作りが望まれます。言葉の暴力も、黙認することも全て「いじめ」であると、大人が教え続けていかなければならないのだと思います。
・暴力反対
意見の分かれるところですが、言葉の暴力も含めて、被害者たることはあっても加害者たることはなかれ、というのが私の考えです。目には目を、暴力には暴力をという考えは好きではないのでし、少なくとも我が子にはそうあってほしいと思っています。ちなみに暴力とはWikipediaによれば、

他者に対して物理的・心理的に制圧を加える力をいう。多く不法に用いられる力についていわれる。

とあります。「やられてもやり返すな」と我が子には教えたいものです。影響力のある方が、例え逆説的とはいえオープンな場所でこうした発言をしてほしくないです。
【コラム・断】イジメで自殺するくらいなら

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