義父との別れ

   

2014-04-02
本日、恙なく義父の告別式が終わりました。
春雨の中、しめやかに。
近親のみで、慎ましやかに。

3年間の闘病生活の果て、恰幅の良かった身体はガリガリに、丸かった顔は骸骨のようになった義父の姿は、胸迫るものがありました。意識は無かったとはいえ、寝たきりの3年間は義父にとって、どういう意味があったのだろうか。見守る家族にとって、どういう意味があったのだろうか。天は何故かような運命を授けたのか。私にはわかりません。

昔気質の義父は、サラリーマンとして定年まで勤め上げ、3人の子供を育てました。私のようにフラフラと転職や独立などを繰り返している姿は、義父には甘えていると見えていたことでしょう。私はこの先、義父のように、子供が自立するまで粉骨砕身できるのか自信がありません。もともと体力も無く、これからもっと無くなっていくでしょうし、病気も抱えていますし、あと15年も現役で働き続けられるのかとても不安です。義父はもとより実父にも実母にも、この点では頭があがりません。自信が無くとも頑張るしかないのですけど。

愛想の無い私は、義父とちゃんと向き合って話したことがほとんど無いまま、意識不明になってしまいました。もっと話しておけば良かったと思います。後悔先に立たずです。酒でも飲めればそういう機会もあったのでしょうが、それも言い訳に過ぎません。

19年前の結婚式のスピーチで「我慢」を連発されたことを今でも覚えています。未だに出来てないとは思いますが、それでも少しは義父の気持ちに寄り添うことができているでしょうか。

頼りない息子ですが、貴方の残したものを、私なりの努力で、守っていきたいと思っています。

安らかに。

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